今回は「ソラニン」「デデデデ」の作者「浅野いにお」先生について解説します。
浅野いにお先生は茨木県出身の男性漫画家。
悲観的な世界観にギャグを織り交ぜた独特の作風が特徴で、「ソラニン」は宮崎あおい主演で映画化もされています。
プライベートではバンド活動をするなど音楽好きで、二度の結婚と離婚を経験されている浅野いにお先生。
本記事ではそんな先生のプロフィールや素顔、結婚離婚の経緯などを中心に解説してまいります。
「浅野いにお」先生のプロフィール
基本プロフィール(性別、年齢、出身地など)
性別 | 男性 |
生年月日(誕生日) | 1980年9月22日 |
年齢 | 43歳(2024年3月時点) |
出身地 | 茨城県石岡市 |
出身大学 | 玉川大学文学部芸術学科 |
浅野いにお先生は茨城県出身の男性漫画家。
ビッグコミックスピリッツでデビューし、青年漫画家・イラストレーターとして活躍しています。
田舎育ちで幼い頃はインドア派、大勢で遊ぶより一人で絵を描いているのが好きな子供だったそう。
自分では勉強好きで協調性のある優等生だと思っていたそうですが、当時の先生からは変わり者だと思われていたのだとか。
変化が訪れたのは高校時代で、友人に恵まれ音楽活動などを始める一方、本格的に漫画を描き始めるように。
このころから勉強をしなくなり、一つの授業中に4コマギャグマンガを最低一本描くようになったそうです。
大学は漫画家・餅月あんこ出身校だという理由で東京の玉川大学に進学しています。
ペンネームの由来と改名
浅野いにお先生は元々「浅野いにを」と名義でデビューしています。
本当は「超生命」というペンネームでデビューしようとしたそうですが、編集さんから本当にそれでいいのか確認され、思いとどまったそうです。
いい編集さんですね。
「いにを」は保険証の記号からとったもの。
活動していく中で「いにを」が「いにお」と誤植されることが多く、なし崩し的に「いにお」に改名。
ただ「にいお」と勘違いされることが多く、再改名を検討しているというエピソードが語られています。
「浅野いにお」先生の作品(経歴)
浅野いにお先生は1998年、高校2年生の時に描いたギャグ漫画「菊地それはちょっとやりすぎだ‼」が「ビッグコミックスピリッツ増刊Manpuku!」に代原として掲載されプロデビュー。
ただ周囲の反応は薄く、大学受験などもあって本格的な活動は少し期間が開きます。
その後、子供向けじゃない自分の漫画を世に送り出そうと苦心し、ストーリー漫画に取り組むように。
2001年に「月刊サンデーGENE-X」に「宇宙からコンニチハ」で入選。
翌2002年には「素晴らしい世界」で初連載を勝ち取ります。
2005年から連載された「ソラニン」は2010年に宮崎あおい主演で実写映画化。
その後も2007年から連載された「おやすみプンプン」などコンスタントにヒット作を世に送り出しています。
そして2014年には「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の連載を開始し、現在に至ります。
「浅野いにお」先生の素顔(写真)
浅野いにお先生はSNSなどで積極的に情報発信をされ、メディアなどにも数多く出演されている作家さんで、顔写真などは普通に公開されています。
スラっとしたイケメンで、中々この写真を見て漫画家だと思う人はいないでしょう。
「浅野いにお」先生の結婚と離婚
一人目の妻は元編集者
浅野いにお先生は二度の結婚と離婚を経験されています(お子さんはいない模様)。
一人目の奥さんについてはあまり情報がありませんが、どうも元編集者だったそうです。
結婚時期や離婚理由などもほとんど語られていませんが、2015年ごろに離婚。
離婚したことを面倒だからという理由で2年ほど両親にも伝えていなかったそうです。
二人目の妻は漫画家・鳥飼茜
二人目の奥さんは「先生の白い嘘」などで知られる漫画家の鳥飼茜さん。
彼女も当時バツイチで、前夫との間にお子さんがいるそうです。
2017年4月から交際を開始し、2018年9月13日に結婚。
浅野いにお先生が「自分がこの先いつ死んでも財産整理を頼めるように」とプロポーズしたそうです。
ただお二人は共同で家を購入したものの、当初から別居婚という形をとり、浅野いにお先生が家に帰ってくるのは週に一度。
しかもその時でさえ、寝るのは別々だったそうです。
結局2020年に離婚。
離婚理由について詳しくは語られていませんが、鳥飼先生はインタビューで「自分らしさ」を優先したとコメントしています。
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