今回は「でんぢゃらすじーさん」の作者として知られる「曽山一寿(そやまかずとし)」先生について解説します。
曽山一寿先生は東京都出身の男性漫画家。
コロコロコミックの看板漫画家として長年根強い人気を誇る作家です。
まだブログなどで公開している奥さんとのとんでもエピソードでも有名。
本記事ではそんな曽山一寿先生のプロフィールやその天才性、素顔を中心に解説してまいります。
「曽山一寿」先生のプロフィール
引用元:曽山一寿(X)
基本プロフィール(年齢など)
| 性別 | 男性 |
| 生年月日 | 1978年9月24日 |
| 享年 | 47歳(2026年7月現在) |
| 出身地 | 東京都 |
曽山一寿先生は東京都出身の男性漫画家です。
小学校の頃に沢田ユキオ先生の「スーパーマリオ」の漫画に触れたことが切っ掛けで、漫画家を志すことに。
二番目になりたい職業は役者で、漫画家としてデビューができず迷走していた時には劇団に所属し二年間ほど全国を回っていたこともあるそうです。
大人から子供まで楽しめるドリフのような漫画を目指しており、「うんこ」ネタなどインパクトを非常に重視しています。
漫画家としての経歴
曽山一寿先生は1997年、高校3年生の時に「おやさい戦士ともゆき」で第40回小学館新人コミック大賞児童部門の最終選考まで残ります。
ただその頃に持ち込みをしていたコロコロコミックの担当者からは「もう来なくていい」と言われてしまい、ライバル誌のボンボンの連載陣の元でアシスタントなどを務めることに。
2000年に「ぼくのおじいちゃん」で第47回小学館新人コミック大賞児童部門佳作を受賞。
この時、ボンボンで連載の話もあり、コロコロとボンボンどちらかを選ばなくてはならなくなり、一度は縁を切られたコロコロを選ぶことになります。
2000年に読切でデビューを果たし、2001年には月刊コロコロコミック「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」の読切版が掲載。
別冊コロコロコミックで「探偵少年カゲマン」で連載を経験した後、月刊コロコロコミック2001年10月号から「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」の連載がスタートし、これが大ヒット。
同作はシリーズ化し、長年にわたってコロコロコミックの看板作品となりました。
「曽山一寿」先生は天才(頭おかしい)
曽山一寿先生は決して画力の高い漫画家ではありませんが、ギャグ漫画家としては間違いなく天才。
キャッチ―で見やすい絵はギャグマンガに非常にマッチしていますし、とにかく意図が伝わりやすくてインパクトがあるため、誰にでも伝わる面白さがあります。
先生は「フリー素材だけで漫画描いてみた」シリーズなるものをブログなどで描いていたことがあるのですが、これを見ればそのギャグセンスの高さが良く伝わってきます。
ちなみに、曽山一寿先生はデビュー当時は「でもそんなギャグ描いたら頭おかしいと思われないですかね」とあまり突き抜けたギャグをすることに抵抗があったそうですが、編集者に「漫画で飯食おうとしてる時点で十分頭おかしいから大丈夫」と言われ納得してしまったそうです。
「曽山一寿」先生の素顔(写真)
曽山一寿先生は漫画のイメージ通りの細身で陽気そうな男性。
本人曰く、非常に飽きっぽい性格で、靴下を片方だけ履いて止めてしまうほど。
漫画家同士の心霊スポット巡りの際に「おやつはいくらまでですか?」と質問したり、高校時代に「ここから見えるすべての人をオレの漫画で笑わせてみせる…」と静かに呟いてみたり、色々と天然エピソードの尽きない人物でもあります。
そんな先生ですが、ちゃんと30歳で結婚していて一児の父親。
バイト先の先輩から聞いた夫婦円満の秘訣を実践して頑張っているそうです。
「曽山一寿」先生の伝説(サインくれ)
曽山一寿先生と言えばファンサービス精神が旺盛なことで有名。
その中でも一番有名なエピソードが「サインくれ」事件で、「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」の作中で、読者から送られてきた「サインくれ」と238回書かれたハガキに対し、サインを238枚送り返したことがあるのですが、それが原因で当時ファンからのハガキの8割が「サインくれ」になってしまったそうです。
この他にも自腹で111㎝のトロフィーを作って送ったり、ニンテンドー3DSのゲームソフトを送ったりと、とにかくファンを大切にしている印象ですね。
「曽山一寿」先生と嫁(奥さん)
曽山一寿先生は愛妻家として知られており、奥さんとのエピソードを描いたエッセイ漫画がブログで掲載されています(「僕が妻の好きな所」として出版もされていますね)。
奥さんと風俗に行ったとんでもエピソードなど、ホントにエッセイかと疑いたくなるような内容ですので是非読んでみてください。
ちなみに奥さんは一般人のため、詳しいプロフィールなどは公開されていません。




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