今回は「黒子のバスケ」「キルアオ」の作者として知られる漫画家「藤巻忠俊(ふじまきただとし)」先生について解説します。
藤巻忠俊先生は東京都出身の男性漫画家。
本人は「ストレートな熱血主人公を描きたい」と言いつつ、実際には主人公の目が死んでいることに定評のある作家さんです。
担当編集者への殺意、黒子のバスケ脅迫事件など作品外でも話題になったことが多い藤巻忠俊先生。
本記事ではそんな先生のプロフィールや経歴、関連エピソードや素顔を中心に解説してまいります。
目次
「藤巻忠俊」先生のプロフィール
引用元:キルアオ【公式】
基本プロフィール(出身など)
| 性別 | 男性 |
| 生年月日 | 1982年6月9日 |
| 年齢 | 43歳(2026年2月時点) |
| 出身地 | 東京都 |
藤巻忠俊先生は東京都出身の男性漫画家です。
漫画家を目指した切っ掛けは中学生の頃「ドラゴンボール」や「スラムダンク」のイラストを自由帳に描くのが流行っていて、自分が描いた絵を友達が買ってくれたこと。
高校では漫研に入部し、そこで初めて本格的な漫画を描いたそうです。
ただその時点では漫画家一本でやっていく覚悟もなく、上智大学に進学したのですが大学卒業後に漫画を描いても遅いかもと思うようになり、大学を中退。
退路を断った上で、読み切り作品を出版社に持ち込んだそうです(ただしその持ち込み作品は新人賞で箸にも棒にもかからなかった)。
漫画家としての経歴
藤巻忠俊先生は2006年3月期のジャンプ十二傑新人漫画賞にて「GEKISHIN!虎徹」が最終候補に。
その後、2006年11月期のジャンプ十二傑新人漫画賞に「黒子のバスケ」の読切版を投稿し、十二傑賞を受賞。
これが翌年「赤マルジャンプ」に掲載され、プロデビューを果たします。
その後、アシスタントをしながら色んなパターンの「黒子のバスケ」を作り、2009年に同作で連載開始。
これがアニメ化を機に大ヒットとなり、一気に人気漫画家の仲間入りを果たしました。
「藤巻忠俊」先生の殺意と担当編集者
藤巻忠俊先生と言えば、初代担当編集者の斎藤編集(12代目編集長)に殺意を抱いていたエピソードで有名。
これは「持ち込みのすすめ」という短編漫画でも描かれていますが、持ち込んだ時に斎藤編集に雑に扱われ、当時は「いつか絶対売れてコイツ焼き土下座さす」という目標をモチベーションに漫画を描いていたそう。
「黒子のバスケの序盤は主に殺意でできています」
と語る通り、当時の巻末コメントなどでもそうした殺意が滲んで隠せていません。
あまりに毒が強いのでネタかな~、とは思うんですが、執拗に続けていたことを考えるとネタっぽくみせた本音かなとも思ったり……
「藤巻忠俊」先生と黒子のバスケ脅迫事件
藤巻忠俊先生を語る上で避けて通れないのが「黒子のバスケ脅迫事件」。
これは2012年から2013年にかけて、藤巻忠俊先生やその関係各所に脅迫状などが送りつけられ、イベントやグッズ販売に大きな影響を及ぼした事件です。
「毒をまいた」とか「イベントを開催すれば死傷者がでる」とかの脅迫文だけでなく、先生の母校の上智大学に実際に致死量の硫化水素の瓶がおかれていたこともありました。
2013年に犯人が捕まり、事件は終結。
犯人は漫画家を志し挫折した当時36歳の男で、藤巻忠俊先生を妬んで犯行に及んだそうです。
「藤巻忠俊」先生は一発屋?
藤巻忠俊先生は口さがない読者から一発屋扱いされることがあります。
その理由は、連載デビュー作である「黒子のバスケ」は押しも押されぬ大ヒット作となりましたが、その後の作品はそれと比べると今一つパッとしないため。
次の連載漫画「ROBOT×LASERBEAM」はゴルフをテーマにしたスポーツ漫画でしたが、2年ほどで打ち切りに。
続く「キルアオ」も2年で連載が終わっています。
とは言え、確かに短期で終わった二作は「黒子のバスケ」より人気が出なかったかもしれませんが、あのレベルのヒット作を飛ばし続けられる漫画家なんて普通いませんので(例外はある)、これぐらいで一発屋扱いはどうかと思いますね。
「キルアオ」についてはアニメ化も決まっていますし、色んな意味でまだまだこれからだと思います。
「藤巻忠俊」先生の素顔(写真・結婚)
藤巻忠俊先生は素顔非公開の作家さん。
ラジオ出演などはなさっていますが、顔出しNGなのか写真は見つかりませんでした。
結婚しているかどうかやご家族についての情報も一切なし。
まぁ過去に事件に巻き込まれた方ですから、プライベートの情報を晒すのは怖いですよね。



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