「小山ゆう」~「あずみ」「お~い!竜馬」作者、不可解な「少年」の打ち切り、その素顔や現在など~

 今回は「あずみ」「お~い!竜馬」の作者として知られる「小山ゆう」先生について解説します。

 小山ゆう先生は静岡県出身の男性漫画家。

 数々のヒット作を生み出したレジェンド作家で、今なお現役の作家として精力的に活動しておられます。

 若かりし頃は設立したプロダクションが早々に潰れたり苦労も多かったようです。

 本記事ではそんな小山ゆう先生のプロフィールや素顔などを中心に解説してまいります。

「小山ゆう」先生のプロフィール

基本プロフィール(年齢、性別など)

性別男性
生年月日1948年2月20日
年齢78歳(2026年10月時点)
出身地静岡県

 小山ゆう先生は静岡県出身の男性漫画家です。

 本名は大竹由次(おおたけよしじ)。

 専業農家の長男として生まれ、高校卒業後に作曲家を目指して上京。

 当時は漫画に興味はほとんどなかったそうです。

 アニメ制作会社でアニメーターのアルバイトをしている際に「さいとう・たかを」先生の作品の模写をしていたことが切っ掛けで「さいとう・プロダクション」を紹介され、漫画の世界に入っていくこととなります。

漫画家としての経歴

 小山ゆう先生は1973年に「週刊少年サンデー」から「おれは直角」でプロデビュー。

 同作は3年連載が続き、後にアニメ化もされる人気作となります。

 その後「がんばれ元気」「愛がゆく」「スプリンター」などヒット作を次々と放っていましたが、1989年に「週刊少年サンデー」で連載した「少年」が不可解な打ち切りに。

 以降は青年誌へホームグラウンドを移していくことになります。

 1986年には武田鉄矢を原作に迎えてスタートした「お〜い!竜馬」が大ヒット。

 1994年には「あずみ」の連載がスタートし、これがシリーズ累計66巻に及ぶ先生の代表作となります。


「小山ゆう」先生の「少年」打ち切り

 1989年に週刊少年サンデーで連載がスタートした小山ゆう先生の「少年」は不可解な早期打ち切りとなったことで知られています。

 普通に考えて人気漫画家であった小山ゆう先生がこんな早期に打ち切られることはあり得ないのですが、この時期の週刊少年サンデーは部数の落ち込みを受け大規模な地殻変動が起きており、編集部の方針にも混乱が見られました。

 中堅以上の作家に対し厳しい対応が続出し、小山ゆう先生はもろにそのあおりを受けた形ですね。

 ただこの時期はあだち充、藤田和日郎、皆川亮二、河合克敏といった輝かしい新しい才能が芽吹いた時期でもあり、一概に編集部の対応がおかしかったと言うことはできません。

「小山ゆう」先生の素顔

 小山ゆう先生はあまり積極的に表に出てくるタイプの作家さんではありませんが、インタビューなどではニコニコ大らかな人柄として知られています。

 ただ漫画に関してはこだわりが強く、編集長とやり合うこともしばしばだったそうです。

 プライベートについてはほとんど語られておらず、結婚しているかどうかやお子さんの有無についても公式の発表はありません。


「小山ゆう」先生の人間関係

 小山ゆう先生は「ゴルゴ13」の「さいとう・たかを」先生の下で3年半ほどアシスタントを経験し、漫画の基礎を学びました。

 当時の「さいとう・プロダクション」の人脈は後々まで生きており、デビュー前後にはさいとうプロの先輩だった小池一夫先生のスタジオシップでお世話になっています。

 デビュー前には山本又一朗とやまさき拓味と3人でオリオンプロを設立しており、1年と少しで廃業となりましたが、山本又一朗さんは後に映画プロモーターとなり「あずみ」シリーズの映画を手掛けています。

 ちなみにペンネームの「小山ゆう」は、小池一夫先生と山本又一朗さんから一文字ずつもらってつけたそうです。

「小山ゆう」先生の現在

 小山ゆう先生は70歳を超えた今も現役の作家として活動しておられます。

 2026年には「ビッグコミック」で連載していた時代サスペンス「女神の標的」が無事完結。

 まだまだその筆が衰える気配はありません。



コメント

タイトルとURLをコピーしました