さて、今回は「ジャンプスクエア」で連載中の「ワールドトリガー」において、主人公は果たして誰なのか、というテーマで話をしたいと思います。
そもそもこんな話題が出たのは、三雲修というキャラクターが目立ちすぎたからです。
普通主人公と言えば、コミックス1巻の表紙を飾ったキャラクター。ワールドトリガーで言えば、空閑遊真なのですが、物語が進むにつれて三雲修が空閑遊真以上に存在感を増してきたのです。
結果、読者は「あれ? W主人公なの? だけどそれにしても修が目立ち過ぎじゃ……」と、そんな疑問を抱くこととなってしまいました。
主人公は? 公式見解:空閑遊真、三雲修、雨取千佳、迅悠一の4人
実はこの疑問については、作者がコミックス8巻の質問コーナーで公式に回答をしています。
Q:遊真と修、どっちが主人公なんですか?
A:どちらでもOKです。自分的には、1話のトビラに描いた4人をそれぞれ主人公だと思って描いています。
1話の扉絵を見てみると、書かれているのは、空閑遊真、三雲修、雨取千佳、迅悠一の4人。
つまり公式見解では彼ら4人全員が主人公だということです。
(キャラクター名からそれぞれのキャラクターの紹介記事へリンクを貼っておりますので、4人がどんなキャラクターか分からない方は、そちらをご覧ください)
「いやいや、ちょっと待ってよ? 千佳は1巻に出てもないし(扉絵除く)、迅も裏で暗躍するタイプでとても主人公って感じじゃないでしょ?」
はい、そんな風に思うのもごもっとも。
しかし、ワールドトリガーという物語においては、4人それぞれが主人公だという確かな理由、そして4人全員が主人公でなければならない理由があるのです。
まずは4人それぞれの主人公らしさについて語っていきましょう。
空閑遊真が主人公である理由(強い主人公)
遊真が主人公である理由は比較的シンプルです。
①コミックス1巻の表紙であり、アニメなどでもこの作品のアイコンとなっている。
②バトルものの主人公らしく強い。
③特殊な武器、能力、相棒(マスコット)を持っている。
①の理由はそのままですね。ワールドトリガーの象徴として扱われているキャラクターだということ。主人公としてこれに勝る理由はないでしょう。
また②についても、バトルにおいて一番活躍しているのは間違いなく遊真であり、その意味でも主人公としての存在感は十分。
さらに③、父の形見(父そのもの)であるブラックトリガーという特殊な武器と、父から受け継いだサイドエフェクト(特殊能力)、相棒のレプリカ先生と、主人公らしい要素をこれでもかと詰め込んでいます。
これで遊真が主人公でないと言っても、誰も納得しないでしょう。
一方で、遊真は主人公としては少し欠けているものがあります。
それは遊真自身が最初から完成された「強い」キャラクターだということ。成長の余地が薄いという点は、残念ながら物語の主人公としてはややマイナスでしょう。
三雲修が主人公である理由(弱い主人公)
そしてそんな強い遊真と対照的に描かれるのが、三雲修、通称「持たざるメガネ」と呼ばれる男です。
修が読者から主人公だと認識されるようになった理由はたった一つです。
・修が中心となるエピソード(通称メイン回)が圧倒的に多い。
つまり作中でも最も中心的に描かれ、目立っているのが修なのです。
というのも、遊真はネイバー(近界民)という特殊な生まれなので、物語を分かりやすく説明するためには一般人である修を中心とするしかありません。
また、遊真が強いキャラクターであるのとは対照的に、修は才能も経験もない弱いキャラクターとして描かれています。つまり、修にはキャラクターとして成長の余地があり、その成長を中心に物語が描がきやすいということ。
分かりやすく言うと、遊真が一般的な「強い」主人公だとすれば、修は物語をより面白く描くための「弱い」主人公だということですね。
実際、修は人気投票で二回連続1位を獲得していますから、人気面では修が主人公といって差し支えないでしょう。
雨取千佳が主人公である理由
さて、ここまで説明したとおり、遊真と修が主人公であることについては、あまり疑問の余地がありません。
しかし千佳については、最初に述べたように初登場はコミックス2巻から。その立ち位置も主人公というよりヒロインで、守られる存在として描かれることが多い少女。とても主人公らしいとは思えません。
しかし、千佳には主人公として、遊真にも修にもない魅力があります。
それは心の成長です。
遊真が完成された強いキャラクターだということは既に述べた通りです。
そして修もまた、戦闘能力という意味では別として、精神的にはとても強く完成されたキャラクターでした。
これは、修が強い意志と信念でもって物語をけん引する役割を負っているからでもありますが、そうした精神面での成長という意味では、修は少し物足りない存在と言わざるを得ません。
一方で千佳は、当初は他人から責められることを恐れ、どちらかというと内に閉じこもり我慢するような性格の少女。
無意識に他人から非難されることを恐れて、人を攻撃することができないという欠点を抱えていました。
そんな千佳が、作中で自分の心の弱さと向き合い、戦う強さを手に入れる様は、まさしく人の成長そのもの。遊真や修にはない、主人公としての一つの在り方だと言えるでしょう。
迅悠一が主人公である理由
では最後の一人、迅悠一はどうでしょうか?
迅は未来視のサイドエフェクト(一種の超能力)を持ち、未来を見通すことで未来をより良い方向に導こうとする狂言回し。
その能力を駆使して暗躍する様は、重要人物ではあっても、あまり主人公らしくありません。
一言で言うと「感情移入しにくい」のです。
では何故、作者は敢えてこの迅を主人公の一人として位置づけたのでしょうか?
それは恐らく、迅というキャラクターがいなければこの物語が成立しないから、そして物語では未だ詳しくは描かれていませんが、迅もまた苦悩する無力な一人の人間だからではないでしょうか。
未来を知るということは、その未来に責任を負うということ。
より良い未来のために、迅は苦しみながら多くのものを切り捨ててきたのかもしれません。
迅の主人公としての見せ場はこれから、今後、苦悩する迅の内面が描かれるのではないかと推測しているのですが、果たして……
まとめ、ワールドトリガーにおける主人公の意味とは?
さて、4人全員がこの作品の主人公と言って差支えのない存在であることは、ここまで述べてきた通りです。
とは言え、敢えて千佳や迅を主人公に加えずとも良いのでは、という疑問は残っているのではないでしょうか。
実際、読者側からすればその通りでしょう。
敢えて4人を主人公と言ったのは、作者の葦原先生のキャラクター一人一人を細やかに描く、緻密な作品作りがあるからだと思っています。
ワールドトリガーはとにかく膨大な数のキャラクター一人一人がとても緻密に描かれた作品。
隊員一人一人が、それぞれ主役級と言って差支えないほど魅力的に描かれています。
こうした群像劇においては、中心となる主人公が一人ではとてもこれほど多数のキャラクターを描き切れません。様々な形の主人公がいてこそ、他のキャラクターが活きてくるのです
実際、遊真との関係、あるいは修、千佳、迅、それぞれとの関係でこそ魅力的に描かれるキャラクターが、この物語には多数存在しています。
ただ本人が魅力的なだけでなく、他のキャラクターを魅力的に輝かせる存在、それがワールドトリガーにおける主人公の形なのではないでしょうか。
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