「島本和彦」~「アオイホノオ」などで知られるエンタメ漫画家、その人間関係(藤田和日郎、庵野秀明)、素顔(奥さん)など~

 今回は「アオイホノオ」「炎の転校生」などの作者として知られる漫画家「島本和彦(しまもとかずひこ)」先生について解説します。

 島本和彦先生は北海道出身の男性漫画家。

 漫画界屈指のエンタメ作家であり、漫画のみならずアニメのキャラクターデザインなど様々な分野で精力的に活動しておられます。

 顔が広くサービス精神旺盛なことでも有名。

 本記事ではそんな島田和彦先生のプロフィールや人間関係を中心に解説してまいります。

「島本和彦」先生のプロフィール

基本プロフィール(出身など)

性別男性
生年月日1961年4月26日
年齢64歳(2026年1月時点)
出身地北海道池田町

 島本和彦先生は「アオイホノオ」「炎の転校生」「吼えろペン」などの作者として知られる北海道出身の男性漫画家。

 小学校の頃から独学でギャグ漫画を描き始め、高校時代はパロディ漫画を執筆しつつ、陸上部と演劇部に所属し生徒会長まで務めるなど、何事にも精力的に青春時代を送っていました。

 大学は叔父が大阪に住んでいたこともあり、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科に進学。

 在学中にプロデビューを果たし、大学を中退して上京しています。

 本名は「手塚秀彦」で、ペンネームを使ったのは「漫画の神様手塚治虫に遠慮して」とのこと。

 現在は北海道札幌在住で、漫画家として活動しながら、会社経営者である父親の後を継ぎ、株式会社アイビックおよび株式会社アカシヤの代表取締役社長を務めています。

漫画家としての経歴

 島本和彦先生は大学在学中の1982年、週刊少年サンデーから「必殺の転校生」でプロデビュー。

 「逆境ナイン」「炎の転校生」など人気作を次々と世に送り出し、人気漫画家としての地位を確立させます。

 漫画以外でもゲーム「ライブ・ア・ライブ」やアニメ「機動武闘伝Gガンダム」のキャラクターデザインを担当するなど幅広い分野で活動。

 アニメイトのマスコット「アニメ店長」などでも有名ですね。

 非常にサービス精神旺盛なエンタメ漫画家で、コミケにはほぼ毎年参加し、他の漫画家のイベントにも顔を出し、公式の歌詞応募企画に一般人として応募して採用されたりと、とにかく人を楽しませることに余念がありません。


「島本和彦」先生の人間関係

藤田和日郎先生を始め漫画家仲間多数

 島本和彦先生はそのサービス精神旺盛な人柄から、多くの漫画家仲間と親交を持ち、幅広い人脈で有名です。

 特に同じ北海道出身で「うしおととら」の作者として知られる藤田和日郎先生とは互いにライバルとして強烈に意識しており、様々な場外戦を繰り広げています。

 島本和彦先生の「吼えろペン」には藤田和日郎先生をモデルにした「富士鷹ジュビロ」が登場しており、そのあまりにぶっ飛んだキャラクターにより、藤田先生ってジュビロみたいな人なんだと、漫画の設定や発言を信じ込むファンが多数出現。

 藤田先生はそのことを島本先生に抗議しつつ、プロレスのようなやり取りでファンを楽しませています。

庵野秀明とは大学の同期

 映画監督の庵野秀明先生とは、実は大学時代の同期。

 島本先生は庵野監督の制作課題を見て、自分とはレベルが違うと衝撃を受け、アニメの道を諦め漫画家となることを決めたそう。

 両者は互いに一方的にライバル視し合ってしたものの授業で会うことはほとんどなかった、と島本先生は語っていますが、実際には庵野監督は漫画家を目指す島本先生は自分たちとはジャンルが違うと考えており、ライバル視というのは島本先生の一人相撲だったようです。

 ただ島本先生は当時からその奇行で有名だったようで、印象には残っていたそう。

 アニメ店長のPVの際には庵野監督が友情監督を買って出てるなど親交があったのは事実のようです。


「島本和彦」先生と仮面ライダー

 島本和彦先生は仮面ライダーの大ファンで、その生みの親である石ノ森章太郎先生を勝手に師と仰いでいました。

 デビュー後、実際に石ノ森章太郎先生と対面を果たしてからは、「仮面ライダーBlack」などの石ノ森作品の執筆を託されたり、共著や解説を行ったりと、様々な形で実際に親交を持っています。

 柴田ヨクサル先生による”オトナたちの本気の仮面ライダーごっこ”「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」が公開された際には「柴田先生と本気で殴り合いたい」「なぜこの原作者が自分でないのか」などと島田先生独特の表現で大絶賛して興奮していました。

「島本和彦」先生の素顔(奥さん)

 島本和彦先生はご結婚し、五人の息子さんがいることが分かっています。

 勿論、ご家族の顔写真などは無し(一度朝日新聞の記事に家族写真が公開されたことはある)。

 奥様は元銀行員の一般の女性で、1995年に長男を出産し、以降五人の息子さんを産んだそう。

 一人は広告会社に勤めていることが分かっていますが、ご家族のプライベートについては偶にSNSで触れる程度でほとんど非公開となっています。



コメント

タイトルとURLをコピーしました