「呪術廻戦」はナルトやBLEACH(ブリーチ)のパクリ? → 参考にしていると芥見先生が明言

 今回は「呪術廻戦」が同じ少年ジャンプで連載されていたナルトやBLEACH(ブリーチ)のパクリではないか、と一部で騒がれている理由及びその真相について語ってみようと思います。

 少年漫画というのは、王道であればあるほど展開や設定が似通ってくるものなので、パクリ疑惑が話題に上るのはある程度はやむを得ないこと。
 ただし呪術廻戦については、全く根も葉もないデタラメではないことが、少しだけ疑惑を複雑なものにしています。

「呪術廻戦」とナルト、BLEACH(ブリーチ)の共通点とは?

虎杖と宿儺の関係はナルトと九尾? スリーマンセル、目隠し先生

 まず呪術廻戦とナルトとの共通点について整理していきましょう。

 一番大きな共通点は、主人公が災厄とされる存在(宿儺と九尾)を宿す器である、ということでしょうね。
 主人公がその力の一部を借り受けることができる点、周囲から迫害されている点なども似通っています。

 また、主人公たちが男2人、女1人の3人組であることも共通点でしょう。
 根明な主人公(虎杖とナルト)、クールな少年(伏黒とサスケ)、勝ち気な少女(釘崎とサクラ)という組み合わせも、同じと言えば同じです。

 更に言うなら、先生が同じ目隠し系の強キャラ(五条とカカシ)である点も非常に似ています

 (「え~? 似てないよ!」というツッコミはあるかと思いますが、一般的によく話題になっている点を挙げているだけなのでご容赦ください)

セリフ回しやシーンのスタイリッシュさはBLEACH(ブリーチ)?

 次にBLEACHとの共通点ですが、これについては雰囲気的なものなので少し難しいです。

 多いのは、冒頭の主人公が力を得る切っ掛けや話の展開が似ている、という意見。これは確かにその通りでしょう。

 またセリフ回しがオサレなところが似ている(釘崎の「毛穴開いてんぞ」とか)という意見もありますが、これは少しこじつけくさいですね。
 流石に芥見先生がオサレなポエムを書き始めたら否定しようもありませんが。

 後は領域展開の雰囲気が卍解っぽいとか、言われてみればそんな気がしなくもない、といったレベルのものです。


芥見先生がナルト、BLEACH(ブリーチ)を参考にしていると明言

叩き台はBLEACH(ブリーチ)の第1話

 結論になってしまいますが、これらの疑惑については、ファンブックで芥見先生がナルトとBLEACHがベースとなっていることを明言しています。

 話の叩き台、展開はBLEACHの第1話
 芥見先生はBLEACHの大ファンで、ファンブックでBLEACH作者の久保先生と対談もしていますから、そうやって話の展開を参考にするのはごく自然なことでしょうね。

宿儺は絶対に相容れない九尾、五条のモデルはカカシではなく……

 その上で、宿儺についてはナルトの九尾のアプローチを自分ならどうするかを考えた結果、絶対に相容れない存在でそれをやったら面白いんじゃないかと生まれた設定だと認められています。

 あと、五条のデザインについてはカカシではなく「中忍試験で包帯グルグル、額当てで目隠ししていた試験管の影響」らしいです。
 ナルトを読み返してみましたが、誰だよってレベルのチョイ役でしたね。

 ちなみに3人組については何の明言もないので、特に意識はしておられないのでしょう。3人組のこういう構成って、話を動かしやすい鉄板の組み合わせですしね。


「呪術廻戦」がパクリではないと言える理由

全くのオリジナル作品など存在しない

 ここから先はやや蛇足かもしれませんが、呪術廻戦は決してパクリではありません

 現代のほとんどの作品は多かれ少なかれ既存の作品の影響を受けているもの。影響を受けたり、参考にすること自体は決して悪いことではありません。

 例えば影響を受けた作品が古典小説であったなら、むしろ作者の教養の高さが称賛されるのではないでしょうか。

 漫画家の方も子供の頃に読んだ作品に憧れ、自分も描いてみたい、自分だったらどんな風に描くだろうかと想像しながら成長するもの。

 芥見先生のナルトやBLEACHに対する姿勢はその延長線上であり、何ら問題のあるものではありません。
 そもそも、恥じるようなことをしていたら、当のナルトやBLEACHの作者にそんな話はできないでしょうしね。

作品からにじみ出る作者の人格は真似しても真似しきれない

 ではパクリとそうでないものの境界はどこにあるのか。

 それは真似できない作者の個性が反映されたものであるかどうか、そしてそれが物語の根幹にあるかどうかだと考えます。

 では呪術廻戦における作者の個性とは何か?

 これはBLEACHの久保先生も仰っていましたが、作者の性格の悪さでしょう。

 こういうと語弊があるかもしれませんが、死生観に対する残酷さ、邪悪な存在の描き方、そうしたものは、他の作品にない呪術廻戦ならではの個性だと思います。

 宿儺は決して九尾のように虎杖と和解することはないでしょうし、真人のようにただただ邪悪な存在はナルトにもBLEACHにも描かれていませんでした。

 そうした人の負の部分、邪悪さへの向き合い方こそが呪術廻戦の魅力の一つであり、呪術廻戦を唯一無二の作品足らしめている要因なのでしょうね。

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