「ゴールデンカムイ」奥山夏太郎(おくやまかんたろう)~土方に憧れた青年、初登場(アニメ)と声優、その後(死亡?)~

 今回は大人気漫画「ゴールデンカムイ」から、土方歳三の生き様に憧れ一派に加わった青年「奥山 夏太郎(おくやま かんたろう)」について解説します。

 奥山夏太郎は元は茨戸の賭博場の跡目争いに参加した用心棒の一人。

 本来、金塊争奪戦とは縁もゆかりもないチンピラに過ぎなかったのですが、土方歳三という男の生き様に魅せられ、彼に認められたいと土方一派に加わりました。

 本記事では奥山夏太郎という男のプロフィール(年齢・誕生日など)や活躍、その後の行方などを中心に解説してまいります。

「ゴールデンカムイ」奥山夏太郎のプロフィール

基本プロフィール(外見、誕生日、年齢、声優など)

 奥山夏太郎は元々、茨戸の町を二分する日泥組と馬吉組による賭博場の跡目争いに参加した用心棒の一人です。

 日泥組についた土方歳三の下で戦いに加わったのですが、そこで土方の戦いぶりに圧倒され、彼に心酔。

 日泥組が壊滅した後、相棒の亀蔵と共に土方一派に加わることになります。

 中々のイケメンですが、作中ではそれが災いして家永カノに食べられそうになったこともある羨ましくないイケメン。

 年齢は不明ですが、見た目や質問箱でアシリパ(12歳?)以上、鯉登少尉(21歳)未満と語られていたことから、18~20歳程度(1907年時点)と推測されます。

 誕生日は8月1日。

 声優は羽多野渉さんです。

モデルとなった人物や元ネタは?

 実在する人物がモデルとなっているケースが多いゴールデンカムイですが、奥山夏太郎に関してはそうしたモデル・元ネタは確認されていません。

 夏太郎は元々メインキャラクターではなく、たまたま金塊争奪戦に参加しただけのチンピラ。

 特別な元ネタは設定されていないと考えるべきでしょうね。

 ただ、後述する夏太郎のその後を考えると、北海道に牧羊を広めた人物がモデルという可能性はありそうです。


「ゴールデンカムイ」奥山夏太郎の活躍(初登場)

 奥山夏太郎の初登場は58話・茨戸の烏合。

 茨戸の町を二分する日泥組と馬吉組による賭博場の跡目争いに日泥組の若衆として登場します。

 そこに、日泥組が「アイヌの金塊」の情報と人皮刺青を保有しているという話を聞きつけた土方歳三、永倉新八らが日泥組について参戦。

 夏太郎はその圧倒的な戦いぶりと生き様に魅了され、日泥組壊滅後、そのまま土方一派に加わることになります。

 人皮刺青の情報を聞きつけると土方に認めてもらおうと血気盛んに飛び込んでいく夏太郎。

 小樽では刺青囚人の一人・坂本慶一郎と蝮のお銀夫婦に遭遇し、彼らと組んで小樽の賭場に持ち込まれたとされる人皮刺青の奪取を試みます。

 しかしその刺青の情報そのものが鶴見中尉率いる第七師団がまいた罠であり、坂本慶一郎とお銀は兵士に殺され、坂本の刺青を奪われてしまいました。

 賭場から命からがら持ち帰った刺青も偽物と、金塊争奪戦では確たる成果を挙げることができなかった夏太郎。

 ただそれでも、彼が土方一派の一員として最後まで立派に戦い抜いたことだけは確かです。

「ゴールデンカムイ」奥山夏太郎はアニメ版では?

 アニメ版ではいくつかのエピソードがカットされており、それを受けて奥山夏太郎の出番も大幅に減らされています。

 まず茨戸の町の争いでは土方より先に尾形が人皮刺青を入手。

 争いや夏太郎の出番がまるっとカットされています。

 また、坂本慶一郎と蝮のお銀夫婦のエピソードも丸々カットされているため、こちらでも夏太郎の出番は無し。

 ただコミックス15巻の特典OVAには「茨戸編」が収録されているので、ここでは躍動する夏太郎の姿を見ることが出来ます。


「ゴールデンカムイ」奥山夏太郎のその後

最後まで土方一派として金塊争奪戦を駆け抜け、生き延びる

 血気盛んで未熟な若造として描かれることの多い奥山夏太郎ですが、彼はこの金塊争奪戦を土方一派の一員として最後まで駆け抜けました。

 最終決戦となった五稜郭でも、最前線で第七師団相手に奮闘。

 都丹庵士ソフィアら多くの仲間が命を落とす中、悪運強く生き延びたのです。

 土方本人も最終的に命を落としており、決して土方一派の望む結末ではなかったでしょうが、生きている限り夏太郎の戦いは終わりではありません。

その後は羊牧場を成功させ大牧場主に

 元々金塊を手に入れたら羊の牧場を経営したいと考えていた奥山夏太郎。

 作中では、北海道じゃまだ誰もやっていないし、牛より育てるのは簡単、毛は軍用に高く売れると熱く夢を語っていました。

 ただ、当時それを聞いた白石には、

「羊肉は臭いらしいぞ」
「絶対失敗するわ」

 と冷たくあしらわれていました。

 が、夏太郎は諦めることなく、戦いの後、実際に小さな羊の牧場の経営を始めます。

 その後、第一次世界大戦が勃発したことで海外から羊毛が輸入できなくなり、国内での需要が高騰。

 ”臭い”と評判が悪かった羊肉を何とか食べさせたいと工夫がなされ、ジンギスカンが広まったことで牧羊に追い風が吹くことになります。

 最終的に夏太郎は大牧場主となり、大成功をおさめたそうです。

 



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