今回は週刊少年ジャンプの傑作バレーマンガ「ハイキュー‼」から、烏野高校を献身的に支えた監督「武田 一鉄(たけだ いってつ)」(武田先生)について解説します。
武田先生は烏野高校バレー部の監督。
バレーは未経験で技術的な指導こそ一切できませんが、自分にできるあらゆる手段を尽くして烏野高校の飛躍に尽力した影の功労者です。
本記事ではそんな武田先生の頑張りを、日向たちに送った心に刺さる数々の名言と共に振り返っていきましょう。
「ハイキュー‼」武田一鉄(武田先生)ってどんな奴?(声優含む)
基本プロフィール(身長、誕生日、声優など)、得意技は「土下座」、怒ると怖い
所属 | 烏野高校(現代文教師) |
ポジション | バレー部監督 |
誕生日 | 1月10日(29歳) |
身長 | 166.5cm |
体重 | 59.4kg |
最高到達点 | ー |
好物 | 肉じゃが |
最近の悩み | 生徒に「先生メガネダサイ」と言われた |
声優 | 神谷浩史 |
武田一鉄は今年から烏野高校男子バレー部の監督に就任したばかりの新米監督。
バレーは未経験でルールについても十分には把握しておらず、作中では周囲に質問して教えてもらう、所謂「読者に対するルール説明役」を担っています。
外見は髪がボサボサに跳ねた小柄で人の良さそうなメガネの男性。
性格は非常に生徒想いで、作中では恐らく周囲から押し付けられたであろう何の縁もないバレー部を全力でサポートしていました。
基本は見た目通り温和で、得意技は「土下座」とさらりと語れる悲しい生態の持ち主ですが、それだけに怒るとかなり怖いです。
ちなみに独身で、かなりの料理上手(作中では清水がショーセツバンの日誌ページで「美味しい」とコメントしていました)。
そこそこ貯金は貯め込んでいるようですが、今のところ結婚資金などに使う予定は一切ないらしく、バレー部のために躊躇なくつぎ込もうとする(色んな意味で)危ない一面も。
ポエミーな現代文教師、バレーは未経験だが「小さな巨人」疑惑も?
パワー | 1 |
バネ | 1 |
スタミナ | 2 |
頭脳 | 4 |
テクニック | 1 |
スピード | 1 |
※表は最低1~最高5の5段階評価
これが武田先生のパラメーターです。
悲しいぐらいペンギンさんが並んでいますね。
武田先生は本当にバレーとは何の縁もゆかりもない現代文担当の高校教師ですから、この評価もやむを得ないところ。
ちなみにパラメーターの備考では「ただし、頭を下げるスピードだけは未知数」と評されており……見たいような、未知数のまま終わらせてあげたいような……
ちなみに、こんな武田先生ですが一時期読者からは、武田先生本人、あるいはその弟が「小さな巨人」なのでは、という疑惑をもたれたことがあります。
「小さな巨人」とは主人公の一人、日向翔陽がバレーを始める切っ掛けとなった、かつての烏野高校の大エース。
物語終盤までその正体は謎に包まれており、回想シーンなどでそのシルエットや髪型のみが登場していたのですが、それが武田先生そっくりだったのです。
当初は武田先生本人が「小さな巨人」なのではと噂され、武田先生がバレー未経験で年齢も合わないと分かると、先生に実は弟がいてそれが「小さな巨人」なのでは、と様々な憶測が飛び交いました。
バレー部の顧問を引き受けた理由も、弟の縁なんじゃないか、とかね。
最終的には「小さな巨人」は武田先生とは全く何の関係もない人物であったことが判明しています。
「ハイキュー‼」武田一鉄(武田先生)の人間関係
烏養コーチとのコンビ
武田先生と言えば、烏養繋心コーチとのコンビで有名。
烏養コーチは名将と呼ばれた烏養監督のお孫さんで、元々指導者になる気は全くなかったのですが、武田先生の熱心な懇願におされてコーチを引き受け、そのままずぶずぶ指導者の魅力にハマっていった青年です。
武田先生はバレーの知識や技術的なものは全て烏養コーチに頼りきりですが、それ以外の分野では献身的にバレー部をサポートしており、二人は互いを認め合い敬意を払う名コンビ。
バレーの知識はともかく、まだまだ指導者としては未熟な烏養コーチを教師らしく手助けしていました。
ちなみに武田先生は烏養コーチのことを「烏養くん」、コーチは武田先生のことを「先生」と呼んでいます。
猫又監督や澤村たち選手もその熱意に敬意を払う
武田先生の熱意や頑張りは作中の多くの人物が認めるところです。
作中で最初にそれを称賛していたのが、音駒高校の猫又監督。
「熱意には熱意が返ってくる」
「あんたが不恰好でも頑張ってれば生徒はちゃんとついてくる」
バレー未経験で何の人脈もない武田先生にとっては、練習試合一つ組むのも大変なこと。
強豪と呼ばれなくなって久しい烏野高校であれば猶更です。
そんな中、わざわざ宮城から東京の音駒高校にまで連絡をとり、練習試合を頼み込んだ武田先生の熱意に猫又監督は心から感じ入ったのです。
猫又監督が梟谷学園グループの合同合宿に烏野高校を誘ったのも、そうした武田先生の熱意あってこそのことでしょう。
その武田先生の献身に生徒たちも心から感謝していました。
春高での敗戦後、主将の澤村は部員を代表して武田先生へ感謝の言葉を伝えています。
「先生が監督であることが俺たち最大の幸運です」
「ハイキュー‼」武田一鉄(武田先生)のその後と名言
日向たちの卒業後も烏野高校バレー部で監督を務める
武田先生は日向たちの卒業後も烏野高校バレー部で監督を続けています。
烏養コーチとのコンビも健在で、2018年に日向がブラジルから帰国し、Vリーグで影山たちと対戦することになった際には烏養コーチとともに試合を観戦していました。
ポエミーで感動屋な性格は変わっていないようで、日向たちの躍進に鼻水を垂らしながら感涙し、烏養コーチにツッコまれていましたね。
その後の詳しい描写はありませんでしたが、周囲に女性の影はなく、2018年(34歳)時点でも独身生活を続けているようです。
日向たちに送ったポエミーかつ心に刺さる名言
武田先生と言えば、日向たち生徒に送ったちょっとポエミーですが心に刺さる名言で有名。
「”負け”は弱さの証明ですか?」
「君達にとって”負け”は試練なんじゃないですか?」
「地に這いつくばった後、また立って歩けるのかという」
「君達がそこの這いつくばったままならば」
「それこそが弱さの証明です」
IH予選で青葉城西に敗北した直後、武田先生が涙を流す日向と影山にかけた言葉です。
何度でも立ち上がる強さ。まさに「ハイキュー‼」を象徴するような言葉です。
「今この瞬間も『バレーボール』だ」
春高の鴎台戦で発熱して倒れた日向へかけた言葉。
体調管理を怠った日向を厳しく諫める言葉であり、同時にこの悔しさを無駄にせず次に繋げるよう励ました言葉でもあります。
「君たちの何もここで終わらない」
「これからも何だってできる!」
鴎台戦で敗北した生徒たちに最後に送った言葉。
まさにこの言葉の通り、生徒たちは様々な形で躍進を続けていきます。
「遠きに行くは必ず邇き(ちかき)よりす」
日向がブラジルに行くとき部屋に貼っていたことわざ。
これは武田先生から送られた言葉でした。
意味は「物事を行うには順を追って一歩一歩積み重ねていかなければならない」。
この言葉の通り、日向はブラジルで体調管理を含め日々の努力を積み重ね、大きく躍進したのです。
こんなところでも武田先生が日向たちの活躍の支えていたんですね。
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