今回は週刊少年ジャンプの傑作バレーマンガ「ハイキュー‼」から、かつて烏野高校を全国へ導いた監督「烏養 一繋(うかい いっけい)」について解説します。
烏養監督(正確には前監督ですが、ややこしいので監督で統一)は強豪と呼ばれたかつての烏野高校男子バレー部を率いた名将。
新しい戦術を積極的に取り入れるタイプの指導者で、当時はその指導を受けるためだけに烏野高校に入ったという選手もいたそうです。
現在は病気のため監督業を退いていますが、当人はとても病人とは思えないほどパワフル。
本記事ではそんな烏養監督のプロフィールや名言などを中心に語ってまいります。
「ハイキュー‼」烏養一繋(烏養監督)のプロフィール(声優含む)
基本プロフィール(身長、年齢、声優など)
所属 | (元)烏野高校男子バレー部 |
ポジション | バレー部前監督 |
年齢 | 69歳(誕生日は不明) |
身長 | 180cm |
体重 | ー |
最高到達点 | ー |
好物 | ー |
最近の悩み | 孫に腕相撲で負けるんじゃないかと心配 |
声優 | 中博史 |
烏養監督はかつて烏野高校を全国の舞台に導いた名将です。
5年前に一度監督業を引退していましたが、昨年一時的に復帰。
しかし復帰直後に倒れて入院してしまい、現在は退院して近所の子供やママさんにバレーを教えていますが、監督業への復帰はならずじまいとなっています。
病気とは思えないほどパワフルなご老人で、その指導はスパルタ。
かつて彼の指導を受けた町内会のOBたち(嶋田、滝ノ上)はその厳しさを思い出して震えあがり、烏野2年生組の縁下、木下、成田は一度部から逃亡したほどです(逃げ出してそのまま退部した部員も2名ほど)。
とはいえ、その指導は常に新しい戦術を取り入れた先進的なもので、影山のように烏養監督の指導を受けるためだけに烏野高校に入学する者も当時は珍しくなかったようです。
ちなみに、日向が憧れる小さな巨人が春高に出場した時の監督でもあります。
当時としては大柄で剛腕、今でも孫を投げ飛ばせるほどパワフル
パワー | 不明 |
バネ | 不明 |
スタミナ | 不明 |
頭脳 | 不明 |
テクニック | 不明 |
スピード | 不明 |
※表は最低1~最高5の5段階評価
バレーボール選手に限らずパラメーターが公表されていることの多いハイキューキャラクター(清水、谷地など)ですが、69歳の烏養監督は流石に評価対象外となっています。
とは言え、ご本人は今でパワフルでお元気(病気ですけど)。
作中では今でも孫の烏養コーチを軽々投げ飛ばせるほどの剛腕ぶりを発揮しています。
悩みに「孫に腕相撲で負けるんじゃないかと心配」とありますが、そろそろ負けてあげましょうよ。
多分、バレーをしたら今でも普通に入部当初の日向とかよりは上手なんじゃないかと思います。
身長も180cmと当時の日本人としてはかなりの大柄ですし、現役時代は相当パワフルなプレイヤーだったんじゃないでしょうか。
「ハイキュー‼」烏養一繋(烏養監督)と猫又育史
東京の音駒高校で監督を務める猫又育史監督とは、二人が中学2年生以来の50年以上に渡るライバル関係です。
中学2年生の時、練習試合で猫又少年と対戦した烏養少年でしたが、テクニカルで頭脳派の猫又少年に翻弄されて敗北。
烏養少年は絶対ぶっ飛ばしてやると誓い、再び猫又少年に挑んだものの、敗北。
次は負かすと宣言する烏養少年に、嬉しそうに受けて立つと応じる猫又少年。
しかし中学最後の大会を前に猫又少年は東京に転校してしまいます。
彼らが再会したのは高校2年生の全国大会。
二人はともに一回戦負けで再戦はならず、互いに次こそはと誓い合います。
けれど二人がその後全国の舞台に立つことはなく、選手を引退。
その後、互いに母校でコーチをしていることを知り、今度は指導者として再戦することを願って度々練習試合を組むようになります。
その戦いは烏と猫「ゴミ捨て場の決戦」と呼ばれ、全国の舞台で対戦することを周囲からも熱望されていました。
が、烏養監督の引退により、その戦いは叶わず仕舞いとなった……やに思われました。
「ハイキュー‼」烏養一繋(烏養監督)と烏養繋心(烏養コーチ)
烏野高校男子バレー部コーチの烏養繋心は烏養監督の孫にあたります。
烏養コーチにとって烏養監督は現役時代の指導者であり、今でも頭の上がらない相手。
指導者として情けない姿を見せれば、即座にぶん投げられてしまいます。
元々烏養コーチは指導者となるつもりはなく、当初は武田先生の熱意に負けて指導者を引き受けただけ。
祖父が成し遂げられなかった「ゴミ捨て場の決戦」を自分が代わりに、と考えていたわけではありませんが、いざその立場に立つとそのことを意識してしまいます。
戦うのは選手たちで、自分や祖父のために戦うわけではないと分かってはいても。
ほんの少しの私情を交えつつも烏養コーチは見事烏野高校を全国の舞台に導き、祖父の成し遂げられなかった「ゴミ捨て場の決戦」を成就させます。
そのことに烏養監督は、自分があそこに居たかったのではないかと尋ねられ、
「……春高のパンフレットに」
「俺の名前は載ってねえが」
「俺の弟子がコート(そこ)に居るし」
「俺の“血”はコートに在る」
「申し分」
「無し」
「ハイキュー‼」烏養一繋(烏養監督)のその後(現在)
かつて病で倒れて監督業を引退し、2013年の春高時点では検査入院していた烏養監督。
高齢で健康面が危ぶまれていましたが、2021年の東京オリンピックの時点でもご存命(78歳)。
酒好きは相変わらずの様で、オリンピックを肴に東京の猫又監督とリモート飲みをなさっていました。
酒はほどほどに、と言いたいところですが、この年齢になってくると楽しみを制限する方が体に毒ですし、これはこれでこの人たちなりの健康法なのでしょう。
烏養コーチと武田先生のコンビはその後も烏野高校男子バレー部を率いており、結局烏養監督の監督復帰(ややこしいな)はなされず仕舞い。
頼もしい後継者たちに、安心して道を譲ったということでしょうね。
「ハイキュー‼」烏養一繋(烏養監督)の名言
それでは最後に、烏養監督が作中で発した数々の刺さる名言を紹介してシメとさせていただきます。
「翼がないから人は飛び方を探すのだ」
かつて烏養コーチが烏養監督から聞いた言葉。
コーチは速攻をブロックされ必死にもがく日向の姿に、かつて監督が指導した小さな巨人の姿を垣間見ます。
小さな巨人を育てた烏養監督の姿勢が垣間見える一言ですね。
「勝負事で本当に楽しむ為には」
「強さが要る」
かつて烏養コーチが烏養監督から聞いた言葉第2弾。
だからこその厳しいスパルタ指導ということなのでしょう。
「絶対に勝てない勝負は無ぇし」
「絶対に勝てる勝負も無ぇよ」
白鳥沢との決戦を前に、一言。
シンプルですがその通り。
皆、どちらが強いかそれを確かめるために戦うんですよね。
「かつて名将アリー・セリンジャー監督が言った」
「未来に発展も変革も無いと」
「信じる理由は無いのである」
白鳥沢との決着の瞬間、烏養監督と鷲匠監督の脳裏によぎった言葉。
アニメ第3期のこのシーンが頭に残っているファンの方は多いはずです。
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