今回はアニメ化、実写化もされた大人気漫画「弱虫ペダル」から、御堂筋にすら理解を示してしまった人格者「石垣 光太郎(いしがき こうたろう)」について解説します。
石垣光太郎は作中1年目における京都伏見高校のキャプテンです。
当初は御堂筋の横暴に支配された部の現状に苦悩する良心的な人物として登場しましたが、人が良すぎたのか最終的に御堂筋すら受け入れてしまった大物。
番外「スペアバイク」では大学編での活躍も描かれています。
本記事ではそんな地味にかっこいい人格者、石垣光太郎のプロフィールや御堂筋との関係などを中心に語ってまいります。
「弱虫ペダル」石垣光太郎のプロフィール
基本プロフィール(誕生日、身長、声優、自転車)
所属 | 京都伏見高校 → 明早大学 |
身長 | 173cm |
体重 | 61kg |
誕生日 | 6月5日 |
タイプ | オールラウンダー |
愛車 | 赤のアンカーRFX8 |
声優 | 野島裕史 |
石垣光太郎は作中1年目のIHに京都伏見高校のキャプテンとして登場したキャラクターです。
見た目こそちょっと気合いの入った髪型をしていますが、非常に人当たりの良い温厚な性格をしています。
名目上、石垣がキャプテンではありますが、京都伏見高校は(当時の)1年生エース御堂筋翔の独裁政権。
部員たちは「御堂筋のことは君付けで呼ぶ」「部員同士は番号か苗字で呼び合う」といった意味不明なルールを強いられ、レース中は御堂筋の指示に従わされていました。
それでも石垣だけは時折、御堂筋に苦言を呈していましが、石垣自身も御堂筋のおかげで部が強くなったことは理解しており、あまり強くは言えなかったようです。
実は強い? 我慢で引っ張るエースアシスト
御堂筋ばかりが目立って他の選手の印象が薄い京都伏見高校ですが、実は石垣は隠れた実力者です。
突出した力があるわけではありませんが、御堂筋が来る前は彼が京都伏見高校のエース。
IH出場の常連で全国でも上位の実力を有し、粘り強い走りが持ち味です。
現チームではエース御堂筋を引くエースアシストを務めており、文字通り倒れる寸前まで力を振り絞っていました。
今泉や荒北といった他チームのアシスト比べると、エースをトップで発射するほどの力はありませんでしたが、それに近い位置で御堂筋を発射しています。
少なくとも御堂筋がアシストとして”使っている”以上、相応の能力があることは間違いありません。
「弱虫ペダル」石垣光太郎の過去
石垣は1年生の頃から連続してIHに出場しています。
1年生の時はまだ石垣はメンバー入りしておらず、IHではサポートに回る予定でしたが、先輩の不祥事により京都伏見高校はIHの出場を辞退することに。
その際、当時の主将の計らいで連盟選抜チームの選手としてIHに出場した石垣でしたが、初出場のIHでは空気に飲まれて何も出来ず、タイムオーバーでリタイアという結果に終わっています。
そして京都伏見高校として出場した2年生のIH。
エースアシストを任された石垣は初日、最終ステージで箱根学園の福富と競り合い、好位置でエースを発射。
箱根学園表彰台独占の牙城を崩すことに成功しています。
ただその後2~3日目は疲労で何も出来ずにIH終了。
3年生となった最終年度は、キャプテンとして雪辱を晴らすべく、力を蓄えていたのですが……
「弱虫ペダル」石垣光太郎と御堂筋翔
3年生となった石垣の前に現れたのは、新入部員の御堂筋。
御堂筋は入部初日、石垣にエースの座をかけて勝負を挑みます。
御堂筋の力を知らない石垣は、生意気な新入生の鼻を叩き折ってやろうとしたのでしょうが、敗北。
エースの座と共に部の実権を奪われ、御堂筋は独特のルールで自転車競技部に独裁をしいていきます。
そんな部の在り方を快くは思っていなかったものの、自分が御堂筋に敗北した責任、確実にチームが強くなっていることもあって御堂筋に逆らえない石垣。
当初は渋々御堂筋に従っていた石垣でしたが、IHの先頭争いの舞台で御堂筋と共に走ったことで、御堂筋と真っ向から向き合うようになります。
そして御堂筋という純粋で巨大な才能の礎になろうと決意。
御堂筋の在り方を受け入れ、心の底から彼を支えようとします。
そうして(一方的に)御堂筋を理解した石垣は、以降、自分はもう御堂筋と通じ合ったのだからと、御堂筋が課した「君付け」の縛りを終了。
御堂筋も何となくそれを受け入れてしまいます。
御堂筋が石垣のことをどう思っているかは作中で語られていませんが、引退した石垣を大阪(鳴子と対決したイベント)に同行させたり、案外内心では普通に先輩として慕っていたのかもしれませんね。
「弱虫ペダル」石垣光太郎の活躍
石垣光太郎が出場した作中1年目のIH。
初日は一切目立ったところのない石垣でしたが、2日目はエースアシストとして御堂筋を引き激走。
石垣は無茶をして途中でアウトに膨らみコースアウトしそうになりますが、御堂筋に支えられて復帰し、好位置で御堂筋を発射することに成功します。
しかし2日目は好アシストも実らず、御堂筋は僅差の3位。
石垣はショックのあまりレースを棄権して京都に帰ろうとした御堂筋を心配しつつも、御堂筋のレースに対する純粋な思いを感じ取り、彼と正面から向き合うようになります。
そして最終日、無事に会場に現れた御堂筋。
石垣は最終ステージで御堂筋の期待を超え、産学で倒れるまで彼を引いた後、リタイアします。
その後、御堂筋もリタイアし、敗北した京都伏見高校。
石垣は御堂筋に来年の京都伏見を託し、そして後輩の山口に「御堂筋の良心になってやれ」と無茶ぶりをして、部を去っていきました。
「弱虫ペダル」石垣光太郎と大学編(スペアバイク)
高校卒業後、石垣光太郎は箱根学園の福富や新開隼人らと同じ明早大に進学し、自転車競技部で活躍しています。
大学入学当初は自転車競技部にも入っていなかった石垣。
地元を離れ、慣れない東京での暮らしに早くもホームシックになっていました(意外と繊細ですね~)。
そんな時、彼に声をかけたのが元箱根学園の福富と新開隼人。
福富は過去にIHで石垣と競ったこともあったので特に印象に残っていたのでしょう。
彼らとの出会いで気持ちを持ち直した石垣は自転車競技部に入部。
当時、福富と新開はIHで敗北した箱根学園コンビとして悪評が流れており、何かと苦労していたようですが、石垣も含めた3人で協力し、無事レースに出場するなど頑張っているようです。
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