今回は言わずと知れた大人気漫画「呪術廻戦」から、物語のキーアイテム「獄門疆(ごくもんきょう)」について解説します。
獄門疆(ごくもんきょう)とは、あらゆるモノを封印する力を持った特級呪物。
その正体は生きた結界・源信の成れの果てとされ、渋谷事変で五条悟がこれに封印されて以降は、その封印解除が主人公たちの目的の一つとなっています。
本記事では獄門疆(ごくもんきょう)の概要とともに、その封印解除の手段や元ネタとなった実在の僧侶「源信」を中心に解説してまいります。
「呪術廻戦」獄門疆(ごくもんきょう)とは?
あらゆるモノを封印する特級呪物
獄門疆(ごくもんきょう)とは、あらゆるモノを封印する力を持つ特級呪物。
渋谷事変において羂索が使用し、作中最強の存在・五条悟を封印した物語のキーアイテムです。
曰く「生きた結界・源信の成れの果ての姿」。
見た目は手のひらサイズの立方体で、表面に複数の人間の目が浮かんでおり、目はサイコロと同様、対になる面の目の数の合計が7になるよう割り振られています。
通常、獄門疆(ごくもんきょう)の目は閉じられていますが、封印のため開門された時(あるいは封印した対象の情報処理が完了していない間)は、その目が開かれます。
ちなみに「獄門」とは牢獄の門(または刑罰の一つでさらし首のこと)、「疆」とは境界を意味する言葉です。
使用法(封印条件)
封印できないモノはないとされる獄門疆(ごくもんきょう)ですが、流石に封印には条件が存在します。
封印条件
獄門疆(ごくもんきょう)開門後、封印有効範囲半径約4m以内に1分間対象を留める。
なお、1分間とは対象の脳内時間。
定員は1名で、封印された人間が自死しない限りは再使用は不可能となっています。
封印条件は厳しいですが、一度捕まってしまうと対象は動きも呪力も封じられ、自力での脱出は不可能。
ただ五条悟は流石、五条悟と言うべきか、封印が完了した後も獄門疆(ごくもんきょう)が五条悟という情報を処理しきれず、重さが増して暫くその場から動かせなくなっていました。
特徴①封印内では物理的時間は流れていない
獄門疆(ごくもんきょう)の特徴として、封印された内部では物理的時間が流れていません。
つまり、封印された対象は100年でも1000年でもそのままの状態で老い衰えることなく維持され続けるということ。
ただ精神的な時間経過は存在するので、それだけの時間、封印されたままマトモでいられるかというと怪しいところです。
また、羂索の「封印された人間が自死しない限りは再使用は不可能」という発言からすると、封印内部ではある程度の自由が保障されていると考えられます。
特徴②「表」と「裏」が存在する
獄門疆(ごくもんきょう)には「表」と「裏」の二つが存在し、「表」は羂索「裏」は天元様がそれぞれ所持しています。
「表」と「裏」は互いに繋がっており、封印・開門の権限を持っているのは「表」だけ。
「裏」はただ「表」と繋がっているだけで、それ単独では何の力も持っていません。
「呪術廻戦」獄門疆(ごくもんきょう)の解除方法
渋谷事変において五条悟を封印した獄門疆(ごくもんきょう)。
作中で判明している封印解除方法は次の通りです。
「表」を持つ者が開門を行う
一つ目は当然ですが、獄門疆(ごくもんきょう)の「表」を持つ者が開門を行うこと。
羂索が「封印はその内解くさ」と発言していることからも、「表」があれば封印を解除することは可能です。
ただ、作中において獄門疆(ごくもんきょう)は羂索が所持しており、行方の知れない羂索を探し出して獄門疆(ごくもんきょう)を奪取するというのはかなり難度が高く、現実的ではありません。
「天逆鉾」または「黒縄」
二つ目の方法は、天元様の持つ「裏」と特殊な呪具によって無理矢理こじ開けること。
それが可能な力を持つ呪具は次の二つです。
天逆鉾
発動中の術式を強制解除させる力を持つ短刀。
黒縄
あらゆる術式を乱し、相殺する力を持つ縄。
ただ、前者は12年前に五条悟が破壊するか海外に封印し、後者は五条悟が昨年消滅させてしまっています。
自業自得ですが、本当に五条悟は余計なことしかしませんね。
「天使」来栖華の術式
封印を解く三つ目の手段は、天元様の持つ「裏」を来栖華の術式で解除すること。
来栖華は「天使」を名乗る千年前の術師で「あらゆる術式を消滅させる術式」を持っています。
彼女を探し出し、その術式で五条悟を解放するというのが、現在の虎杖たちのメインプラン。
来栖華は死滅回遊に参加しており、その術式によって滞留結界を自由に出入りできます。
東京第1結界で倒れた伏黒の元に舞い降り、虎杖たちに合流しましたが、彼女が提示した協力のための条件は堕天(=宿儺)を殺すこと。
それはつまり、虎杖を殺すということだったのですが……
「呪術廻戦」獄門疆(ごくもんきょう)の元ネタ(源信)
生きた結界・源信は実在した平安時代の僧侶
獄門疆(ごくもんきょう)には元ネタが存在します。
正確にはその元となった、生きた結界・源信について。
そもそも源信とは平安時代に実在した天台宗の僧侶。
浄土教の祖と称され、恵心僧都(えしんそうず)の尊称でも知られている人物です。
ちょうど千年前、宿儺や羂索と同じ時代を生きた人物ですから、彼らと顔見知りかもしれませんね。
源信は「往生要集」の著者として日本史の教科書にも載っており、その書によって日本仏教に「あの世」地獄と極楽の概念を広めました。
浄土宗の祖である法然、その弟子で浄土真宗の祖・親鸞もこの「往生要集」に大きく影響を受けたと言われています。
地獄と極楽の概念を綴り、この世とあの世を隔てた人物
そもそも源信が「往生要集」記す以前の日本では、この世とあの世という概念が曖昧でした。
当時あの世とは、この世と地続きの世界。
古代メソポタミアで冥界が地下世界として描かれていたのと同様に、日本のあの世とは精々が山の向こうの遠くでしかなかったのです。
実際、日本神話ではイザナギが死後の世界にイザナミを迎えに行っていますし、あの世の住人である鬼が普通にこの世に登場しています。
そんな日本仏教に地獄と極楽という概念を伝え、あの世がこの世と簡単に行き来できない別世界だと世に知らしめたのが源信が記した「往生要集」。
史実ではこれが後の極楽往生の信仰へと繋がっていくわけですが、呪術廻戦ではこの源信の「この世とあの世を隔てた」という功績がクローズアップされたようです。
この世とあの世に線を引く行為は、まさしく最上位の結界そのもの。
生きた結界と称されるに相応しい人物、というわけです。
ちなみに獄門疆の内部には無数の髑髏(=死者の霊?)が蠢いている様が描写されており、源信が記したあの世という概念が具現化されていました。
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