今回は週刊少年ジャンプの傑作バレーマンガ「ハイキュー‼」から、護りの音駒を作り上げた名将「猫又 育史(ねこまた やすふみ)」ー猫又監督について解説します。
猫又監督は主人公たち烏野高校の最大のライバル・音駒高校を率いる老将。
普段は好々爺とした雰囲気で優しくチームを見守っていますが、かつてのライバル烏養監督やその孫が絡むと途端にムキになる負けず嫌いな老人でもあります。
本記事では猫又監督が登場人物に与えた影響(黒尾・武田先生・烏養コーチ)、彼が若い頃から待ち望んでいた「ゴミ捨て場の決戦」を中心に深掘りしていきたいと思います。
「ハイキュー‼」猫又育史(猫又監督)ってどんな奴?(声優含む)
基本プロフィール(身長、年齢、声優など)
所属 | 音駒高校 |
ポジション | バレー部監督(現役時代はセッター) |
年齢 | 68歳(誕生日は不明) |
身長 | 169cm |
体重 | ー |
最高到達点 | ー |
好物 | ー(公式データはないが多分酒) |
最近の悩み | 直井と酒を飲んでもすぐ潰れるのでつまらない |
声優 | 福田信昭 |
猫又監督は長い年月をかけ”護りの音駒”を築き上げた名将。
外見は小柄で糸目の人の良さそうなご老人ですが、特定の人物(烏養元監督)の血筋が絡むと途端に負けず嫌いで大人げない姿を見せる愉快な老人でもあります。
生徒にあれこれ細かく指示を出さず、基本的な考え方をしっかり伝えて後は自主性に任せるタイプの指導者。
若い頃からずっと音駒高校のコーチ・監督を歴任し、高齢のため一度は監督業を退いていましたが、近年監督として復帰を果たしています。
烏野高校の黄金期を作り上げた烏養元監督とは現役時代から続くライバルで、共に全国の舞台で雌雄を決する「ゴミ捨て場の決戦」を熱望してきました(詳細は後述)
現役時代はレシーブ力に長けたセッター
パワー | 不明 |
バネ | 不明 |
スタミナ | 不明 |
頭脳 | 不明 |
テクニック | 不明 |
スピード | 不明 |
※表は最低1~最高5の5段階評価
バレーボール選手に限らずパラメーターが公表されていることの多いハイキューキャラクター(清水、谷地など)ですが、流石に68歳のご老体である猫又監督は評価の枠外にあるようです。
ただ高校時代(音駒高校)は全国大会にも出場したことがあり、当時のライバル・烏養一繋(烏養監督)にも全勝していたようですから、その実力は相当なものだった様子。
現役時代のポジションはセッター。
当時からレシーブ力には定評があったようです。
低身長でレシーブ巧者だったという経歴から、リベロ説もありましたが、そもそもリベロ制が正式導入されたのは1998年なので、猫又監督たちの現役時代にリベロは存在していません。
「ハイキュー‼」猫又育史(猫又監督)の人間関係(名言含む)
主将・黒尾鉄朗に伝えた「できるヨロコビ」
現音駒高校の主将・黒尾鉄朗にバレーの本当の楽しさを伝えたのが猫又監督です。
実は彼らの出会いは高校ではなく、黒尾が小学校の頃に遡ります。
当時、研磨と一緒にバレーボールクラブの見学に来ていた黒尾。
スパイクをする選手たちを見て、カッコいいけど背が高くないと打てないからという黒尾に、偶然クラブを訪れていた猫又監督がアドバイスします。
「じゃあネットを下げればいい」
「最初こそ、まずは『できるヨロコビ』じゃないかい」
その言葉でバレーの楽しさにのめり込んだ黒尾は、猫又監督を師と仰ぎ、監督を慕って音駒高校に進学しています。
猫又監督のために「ゴミ捨て場の決戦」の実現に一番熱心だったのも黒尾でした。
黒尾は高校卒業後も猫又監督の教えを胸に、バレーボル協会普及推進事業部で「ネットを下げる」ために活動を続けています。
若き指導者・武田先生、烏養コーチへの激励
ベテラン指導者である猫又監督は、教え子だけでなく烏野高校の若き指導陣のことも温かく見守っています。
バレー未経験ながら生徒たちのために全力を尽くし、練習試合を組むために宮城から東京の音駒高校にまで連絡してきた武田先生には、
「あんたが不恰好でも頑張ってれば」
「生徒はちゃんとついてくる。頑張って」
温かい言葉を送り、梟谷学園グループの合同合宿にも誘っています。
また、ライバル烏養一繋(烏養元監督)の孫である烏養繋心(烏養コーチ)に対しては、
「こいつがじじいそっくりの顔してやがるのが悪い!」
など私怨丸出しで絡んでいきますが、折に触れて挑発交じりの激励の言葉をかけることもあり、その想いは烏養コーチにもしっかり伝わっていました。
「ハイキュー‼」猫又育史(猫又監督)と「ゴミ捨て場の決戦」
若い頃から続く烏養一繋(烏養監督)との因縁(過去・イケメン)
293話で語られていますが、猫又監督と烏養一繋とは彼らが中学時代から続くライバル関係です。
中学2年生当時、宮城県に住んでいた猫又少年は、試合で烏養少年と対戦します。
烏養少年が打つスパイクのコースを読み切り、ことごとくレシーブする猫又少年。
「凄く取りやすかったよ」
「君のお陰で俺の評価が上がったと思う」
「ありがとう」
試合後の煽りに「絶対ぶっ飛ばす」と心の中でつぶやく烏養少年。
その後二人は何度も対戦しますが、勝つのはいつも猫又少年でした。
しかし実際のところその実力は拮抗しており、二人は互いに互いを強くライバル視するようになります。
中学最後の大会を前に東京に転校してしまった猫又少年。
それぞれの場所でバレーを続けた彼らが再会したのは高校2年生の全国大会の舞台でした。
けれどどちらの高校も対戦前に敗北してしまい、再戦は叶いません。
「……いつか必ず、お前を負かす……」(烏養)
「……負けた側からよく言う……」
「……受けて立つ」(猫又)
再戦を約束した彼らでしたが、結局そのまま現役時代にその約束が果たされることはありませんでした。
ちなみに、若い頃の猫又監督は中学時代は短髪でしたが、高校時代は髪を伸ばして菅原風の爽やかイケメンでしたね。
果たされた「ゴミ捨て場の決戦」、その後の二人
その後、それぞれ母校のコーチとして監督としてバレーに関わり続け、チャンスがあれば烏野と音駒で練習試合を組み続けた二人。
けれど結局公式戦での対戦「ゴミ捨て場の決戦」は叶わないまま、一度は監督業を引退してしまいます。
引退から5年後、諦めきれず再び監督業に復帰した二人。
烏養監督は身体を壊して再度監督を引退しますが、その想いは孫の烏養コーチに引き継がれ、全国の舞台で再戦の約束は果たされます。
試合後、TVの画面越し、孫の烏養コーチを通じて握手を交わす二人の表情はとても晴れやかなものでした。
その後、2021年時点では烏養一繋とリモート飲み会をしながら日本代表の試合を観戦する猫又先生の姿が描かれており、変わらず元気でやっておられるようです。
コメント